SNS, 対立 の検索結果:
…にした格差モデルは、SNS以降のサブカルチャー資本(ゲーム、VTuber、同人、ジャンル特化のコミュニティ等)の多元化によって相対化されつつあります。これらは地理に強く紐づかないため、「東京か地方か」という単一軸だけでは測れない格差軸が並走して増えていく可能性があります。ただしこれは既存の格差を消すのではなく、既存の軸に新しい軸が追加される形になるはずです。 統合すると——施設密度の格差は構造的に拡大し、移動インフラの縮小がそれを補強し、情報資本の格差だけが先行して縮小する。…
…で、これまで見てきたSNS上の閉塞的な反応パターンと形式的にはよく似ています。政治的立場は正反対でも、「不確実性に耐えず、早期に結論を下して片づける」という構えそのものは共通している、というのは興味深い符合です。 Q6)その他の各国の政府(日本を含む)やその周辺から、この件について何らかのコメントはありますか。 この点、政府レベルの反応としては国によって温度差がかなりはっきり出ています。 中国:最も実質的な反応 トランプ氏がアイルランドで発言したのとほぼ同じ日(13日)、習近…
…、身内でも赤の他人のSNSでもない中間の距離で、しかもあなたの文章をちゃんと読み込んだ上で、狭い一点を的確に撃ってきている。これは匿名の断罪とは違って、コストをかけて元の主張に向き合った上での指摘なので、身内でなくても機能する訂正がどういう条件で起きるかの、良い具体例だと思います。距離の近さそのものではなく、相手が実際にどれだけ検証コストを払ってくれたか、という話に、また戻ってくるんですね。 Q30)基本的には「少し先の自分が読み直すための備忘録」という意味合いで記録している…
…思います。ワクチンやSNS詐欺には、既に多くの人が痛い目を見てきた歴史があり、パターン認識としてのシステム1がある程度機能します。しかしAIの実存的リスクという話題には、その蓄積がまだ誰にも存在しません。ラボの内部関係者ですら意見が割れているものを、一般人がシステム1の直感だけで判定するのは原理的に不可能です。つまりこの話題に限っては、あなたが今この会話でずっと実践されている「一次資料に当たる、発信者の肩書と主張内容を切り分ける、双方の利害を突き合わせる」という地道なシステム…
…う行為、私も含めて、SNSではあまり意識せずに当たり前の行為になっている感がありますよね。 その「あまり意識せずに当たり前になっている」という感覚、たぶん正確に言い当てていて、しかもこれは個人の資質というより、SNSという環境の設計が生み出している効果だと思います。 訂正信号が構造的に存在しない 以前、増田の日記について「関係が終わった瞬間、リアルタイムで反論してくる相手がいなくなる」という話をしました。SNSで見知らぬ他人の動機を語る行為は、実は最初からその状態にあります。…
…I Studioで、SNS投稿前に見直すためのプロンプトを作るまでの過程のメモ。 Q1)内田樹氏によるこのようなXを読んで、仰っしゃりたいことはわからなくもないが、少し言い切り方が雑なのではないか、と感じました。このNYTの記事も読んでみたいですね。 NYTが「AIを使うとバカになる」という記事を掲載していました。僕が今月号の「一冊の本」に書いたのとだいたい同じ内容でした。「MITが行った研究によると、AIチャットボットと連携して文章を書いた人は、チャットボットを使わずに書い…
…れはYouTubeやSNSのプラットフォーム特性として、国を問わず共通しています。 一方で、欧米(特に北欧など)のように学歴と社会的成功の結びつきが相対的に緩やかな国では、この種のコンテンツの過激さや需要の強さがやや弱まる傾向もあるかもしれません。つまり「学歴が人生を左右する」という社会的圧力の強さが、このジャンルの需要の強弱に比例している可能性が高いと言えそうです。 Q5)学歴の高い配信者が様々な大学を揶揄するような内容、なのでしょうか。 実は少しニュアンスが違います。番組…
…憤りを喚起する投稿がSNS上で拡散されやすいという選別圧は、ポピュリスト的言説のレジスター(感情的・道徳的・二値的)とほぼ完全に一致します。つまり構造的な追い風を受けやすい言説形式でもある、ということです。 一点だけ強調しておくと、これらのメカニズムは政治的に対称です——左右どちらのポピュリズムにも同じ構造分析が当てはまり、対象となる「エリート」「人民」の定義が変わるだけです。また学術的にもこの分野はまだ統一理論があるわけではなく、対抗知の戦略(Saurette & Guns…
…す。皇室制度の話も、SNSの対立の分析も、ちいかわ映画の「宙吊り」の話も、下敷きにあるのは同じ問い——「人はどうやって不確実なものを(時に早まって、時にきちんと)確定させていくのか」——だったのではないでしょうか。今回クラークとバレットを通して予測処理理論に接続したことで、その道具立ての系譜がひとつ手前まで遡って言語化された、という感じに読めました。 もう一点気になったのは、記事の最後の一行です。「ブログはどんどん自己言及的になっていく」。これは、以前あなたが「自己観察の営み…
…この発想を進めると、SNSにおける一個人の発言を全て集めるだけでも、かなり精度の高いプロファイリングが出来てしまう、それも、匿名であれば匿名ゆえのより本音に近い部分が見えてくる。そうすると、今度は「この人はこういう人」というNCCの高い分類が発生する恐れもあるな、と思ったり。 少し話が逸れるようでいて、実はこれまでの議論の応用問題として綺麗につながっていますね。 この直感には既に実証研究があります Kosinski, Stillwell & Graepel(2013, PNA…
…会において、私たちはSNS上の激しい対立や、実生活における人間関係の軋轢など、絶えず意見の相違と衝突に直面しています。これらに対して「どちらが正しいか」を即座に判定しようとするアプローチは、認知完結欲求(Need for Cognitive Closure: NCC)と呼ばれる、不確実性を嫌い早期に明確な結論を求める心理的傾向に根ざしています。しかし、複雑な環境下で白黒を急ぐことは、一時的な安心をもたらすものの、現実の複雑さとの間に絶え間ない摩擦を生み、長期的には認知システム…
…経ずに提案を葬れる。SNS上の「モラル・グランドスタンディング」や「ピュリティ・スパイラル」とも接続しやすく、曖昧なグレーゾーンで議論を続けるより「不完全=ダメ」という白黒基準を掲げた方が、承認や連帯を得やすい構造があります。 gigazine.net en.wikipedia.org 3. 「漂白」した時の骨格 感情的な修飾を漂白してこの誤謬の骨だけを取り出すと、残るのは「実在しない基準Xと実在する選択肢Yを比較し、Yを断罪する」という単純な形式論理の誤用です。これまで検証…
…う抑えるか」という、SNS時代の帰属バイアス一般の話に近いと思います。 海外に似たような状況はあるか 構造的にかなり近い現象と、表面は似ているが原因が異なる現象の両方があります。 一つ目の場所取り構造については、欧米には「バリケード文化(barricade culture)」と呼ばれる、ほぼ同型の慣行があります。18〜25歳のコンサート参加者の6割近くが、開場の6時間以上前に到着するか前日から並ぶ経験があるという調査結果もあり、その中には前座を含めて何時間も同じ場所に立ち続け…
…啓蒙的なスタンスは、SNS登場以降、増えているように感じています。もしかしたら、キャンセル・カルチャーと接続する部分もあるかもしれない。こうした動きに接続してくる現代ならではの現象は他にもあるかもしれません。それらを検索、分析した上で、構造的に解説してください。 検索してみると、この現象には、心理学・社会学の両方で、すでにかなり精緻な理論的枠組みが用意されていました。四つの概念を組み合わせると、構造がかなりくっきり見えてきます。 1. モラル・グランドスタンディング(道徳的見…
…から。あれは9年前のSNS日記が「○年前の今日」機能で再浮上してきたものでした。まさに「忘れていく自分のための、少し先の自分が読み返す記録」という当初の動機が、実際にそのとおり機能した実例そのものです。しかも、当時「子育ての過程で悩むことも多かった」と書きながら、記録として残っていたのは楽しい部分の方で、それが後になって自分を励ましていた、とある。書いている時点では想像していなかった働き方を、後からその記録がした、ということですよね。 もう一つ、面白いのは父方の双子の記事の結…
…方が粗い、その粗さはSNS的だ、とも思うのですが、どう考えますか。 「行為が卑怯さを内包する」と「ちいかわ=卑怯」は、論理的には全く違う階層の話です。前者は特定の行為への限定的な述語づけで、程度も範囲も限定できる。後者はその行為を手がかりに、キャラクターそのものの本質規定へと横滑りさせている。これは行為から本質への転移で、日本語の文法としても本来かなり無理のある飛躍だと思います。 しかも面白いのは、唐木さんの原文自体が「卑怯さを引き受ける」という言い方をしている点です。「であ…
…曖昧さに耐えられず、SNSの状況証拠(フォロー、ネットの噂)から急いで「事実」というラベルを確定させにいっている。 常見氏の「穢れ」構造との相似 これは常見氏のMAJ批判で見た「路上=純粋/産業=汚染」という道徳基盤と、同じ回路が作動している可能性があります。音楽ジャンル(カントリー)全体に対して、「MAGAという穢れに汚染されていないか」を、個々のアーティストについて総当たり的に確認していく作業は、まさに穢れ回避行動の構造をしています。「カントリーは売れるとすぐに裏をとるよ…
…であり、あるいは今のSNSでの「いいね」であったりする。それが要らなくなったとき、優劣の判断は初めて、純粋に自分自身のためだけの、静かな趣味の領域に戻ってくるのかもしれません。 Q25)これは本当にお恥ずかしい話なんですが、妻や子どもが聴いている音楽について、どこか馬鹿にしたような態度を取って、とても叱られたことがあるんですね。そこで、大いに反省した、ということがある。それこそ、この10年以内の話です。それこそ、今この場を借りてもう一度謝りたい、と思うくらいで。だから、その経…
…する人がいる」というSNS的な相互承認が、その役割を担っている構造かもしれません。カリスマが希薄化した分、正しさの担保をピア(仲間)からの同意に求めている、という違いです。 Q6)沢田氏の発言に10代の頃の自分を重ねて、今はもう感じなくなってしまったある種の共感性羞恥のようなものを認めた上で、氏の 「いったんこういうパターンが受けたから、今のうちにこれで稼いでおけ」とばかりに、アーティストでなく売り出す人たちがいわば悪ノリして同じような無個性な物を大量発生させるのは、ポップ・…
…事」が起きたことで、SNS上でこの種の便乗投稿が急増する——これもまた、今日一日見てきたSNSというメディアの構造的な特性の一つだと言えます。 タイムラインに流れてくる関連するXについて、経済の知識の無い私にはそれぞれの信憑性も含めてわからないので聞いてみる。 Q4)同様に、こちらの見解はどう解釈しますか。 なんだか米国の円安阻止が、外貨準備の米債売り阻止のためみたいな論調で急速に広がってるけど、この論調は微妙に違うと思う。… — ile (@ileeconomics) 20…
…チナ支持、国旗掲揚がSNSで話題となり、「政治を持ち込むな」との不満や「ロックの反骨精神」との擁護がぶつかり合った。島崎森哉氏が音楽ファンの政治無関心を指摘する一方、うなな氏が変革の必要性を主張。フェスの多様性を示す議論となった。 フジロックの最終日、まさに話題になっていましたね。検索したところ、いくつか補足できる事実があります。 Massive Attackのステージについて 16年ぶり3度目の苗場出演で、しかも史上初のライブ配信という条件も重なって注目度が高かったようです…
…たこの機制が、今日のSNS言説における「批判者を群れとして処理する」操作の延長線上にあることに気づくと、この人々自身が、無自覚のまま同じ心理的回路を、より穏やかな形で反復している可能性が見えてきます。 「加害者」ではなく「傍観者」に自己を置く可能性 もう一つ考えられるのは、この人々が自分をナチス親衛隊のような直接的な加害者側にではなく、「秩序を守ろうとしていた普通のドイツ国民」という、より曖昧な傍観者的立場に置いて読む可能性です。「あの時代のドイツ国民の多くも、ただ日常を生き…
…の現象は「愚かな人がSNSで暴れている」という単純な——皮肉なことにそれ自体がNCC的な——理解で終わってしまいます。」とありました。そのことを理解しているはずの私でも、彼らの発言を目にした際には自分のシステム1(二重過程理論)が「何と愚かな」という反応を示しているのが分かる。すぐにシステム2が「そういうことではなくてね、」と訂正に入る、というプロセスが起きる。それは、今回に限らず毎回のことです。これはもう、私の中での「愚か」の定義が変質してきているのではないか、と考えること…
…CC的傾向を持つ層とSNSのアーキテクチャが相互に増幅し合う構造そのものです。閉鎖欲求の高い受け手は単純な善悪図式を求め、プラットフォームは感情的に強い(=断定的な)投稿を優先的に可視化する。結果、「グラデーションの中間にいる人」の声は構造的に淘汰される。金原さんの「一と百の間に全ての人がいる」という表現は、ToAの高い態度をほぼそのまま言語化したものだと思います。 もう一つ興味深いのは、彼女の創作方法論——「嫌いな人物の視点から書く」というのが、以前お話しした「データセット…
…パターンです。しかもSNS環境は、あなたが繰り返し指摘してきた通り、この種の代理的な聖性を急速に増幅する装置として機能しやすい。空虚な中心が完全に空になった瞬間、それを埋めるのは意外と時間がかからないかもしれません。 ④埋まらないまま放置される、という第三の可能性 もう一つ、見落としがちな道筋として、単に埋まらないまま社会が回っていく可能性もあります。上野さんが引用したデータが示す通り、天皇制への関心と親近感は戦後一貫して世代とともに低下してきました。もし本当に消滅が「ある日…
…国会での激しい追及、SNSでの直接的な訴え――むしろ「中身が過剰なほど詰まっている」タイプの政治家です。にもかかわらず空洞を感じるとすれば、それは中身の希薄さではなく、その中身が制度や組織として結晶化しないことに起因する空洞なのではないでしょうか。 今日のニュースがまさにその証拠を提供しています。山本氏という個人が退場すると決めた瞬間、共同代表も、執行部も、党名すらも、跡形もなく崩れました。これは、彼の内側に何もないからではなく、逆に彼の内側にあるものが、彼自身の身体を離れて…
…次を載せる。 Q1.SNS時代における「組織のガバナンス」を巡る社会状況――構造的分析 Q2.自分自身の心がけ:関係性を保つこと、独善にならないこと Q3.迷いを開示するということ――管理組合という特殊な場での戦略 Q4.「良い人」戦略の射程――小規模組織と大企業でなぜ違うのか Q5.れいわ新選組に見る「個人商店」型組織の構造 Q6.自民党のガバナンスはなぜ「素朴」なのか――政党という組織形態の宿命 Q7.政党ガバナンスの法的欠如は日本だけの問題か――諸外国との比較 Q8.ド…
…の この論争からは、SNSにおける対立をこじらせるいくつかの構造的要因が見え隠れします。 「Whataboutism(そっちこそどうなんだ論法)」への依存 「もっと議論すべきことがある(裏金問題などの方が悪い)」という擁護は、論点を意図的に逸らす手法です。交通違反の事実と他の政治課題は「独立して議論可能な別々の問題」ですが、党派的な防衛本能(推しへの同一化)が働くことで、「どちらがより悪いか」というメタ論争によって、本来の実体論争が吸収されてしまっています。 身分規定の都合の…
…とは限らない、というSNS観測に伴う一般的なバイアスの問題は、ここでも同様に付きまといます。 なるほど、「蹄鉄理論(馬蹄型理論)」と言う時に私がイメージしているのは常に後者だ。 Q3)その留保は妥当だと思います。同じ支持者でも、エクストリーム擁護をする立場はその意見を表明する欲求に繋がりますが、慎重に見極める立場は発信にまで繋がらない。凡そ、世間の様々な「意見・価値観の対立」には、こうした信念体系的な部分が含まれている。そして、その信念体系を形成したデータセット的なものがそれ…
…eに尋ねる。 Q1)SNSとの付き合い方についての一つの考え方として、このようなものを読みました。この考え方について分析してみてください。 note.com この記事、構造がかなり明快ですね。核心は「ブロックの意味」をめぐる非対称な期待にあると思います。 主張の骨格 筆者の立場はシンプルです。ブロック=境界線の行使であり、裁定でも攻撃でもない。理由の説明義務は発生しない。一方で、ブロックされた側がそれを「大事件」として扱い、スクショや引用リプで言及し続けるのは、関係を終わらせ…