妻と二人、Netflixで『BLACKBERRY』を観た。以前は夫婦揃ってガジェットが好きで、PalmOS端末(主にCLIE)やWindowsMobile端末(SHARPのesシリーズ)等を持っていたのだが、BlackBerryは所有した事がなかった。
Q)BlackBerryを作っていたRIM社について
Research In Motion(リサーチ・イン・モーション、RIM)は、カナダの企業で、後にBlackBerry Limitedに改名されました。RIMは1984年にマイク・ラザリディスとダグ・フレジンによって設立されました。BlackBerryデバイスの開発で広く知られています。
RIM/BlackBerryの歴史
- 1984年 - 設立
- マイク・ラザリディスとダグ・フレジンがカナダのウォータールーにてRIMを設立。
- 1999年 - 初のBlackBerry端末
- RIMは最初のBlackBerryデバイス、BlackBerry 850を発売。これはEメール機能に特化したハンドヘルドデバイスで、主にビジネスユーザーに向けて提供されました。
- 2000年代初頭 - 成功と拡大
- BlackBerryは企業向けのEメールソリューションとして爆発的な人気を博し、多くの企業で標準的なビジネスツールとなりました。
- BlackBerry Messenger(BBM)などの独自の機能も人気を集めました。
- 2007年 - iPhoneの登場
- AppleのiPhoneが市場に登場し、スマートフォン市場の競争が激化しました。
- BlackBerryは物理的なキーボードを特徴とし続けましたが、タッチスクリーンデバイスへの移行が遅れました。
- 2013年 - BlackBerry Limitedへ改名
- 競争の激化と市場シェアの低下により、会社はRIMからBlackBerry Limitedへ改名しました。
- 同年、BlackBerry 10(BB10)オペレーティングシステムを搭載した新しいデバイスをリリースしましたが、成功を収めることはできませんでした。
- 現在
- ハードウェア事業からソフトウェア事業へとシフトし、企業向けのセキュリティソフトウェアやIoTソリューションに注力しています。
- BlackBerryのスマートフォン製造は他社にライセンス供与されており、自社での製造は行っていません。
RIMはその独自のメッセージングサービスと企業向けのセキュリティソリューションで一時期非常に高い評価を得ていましたが、スマートフォン市場の変化に対応することができず、現在はソフトウェアおよびサービスに注力しています。
以前の投稿にも書いたが、物理キーボードのある端末には今でも惹かれる。
劇中では少し違う形の描き方をされているが、確かにiPhoneの登場はショックだったに違いない。
映画でのマイクは、どこか村上虹郎に似ていたが。
Q)Mike Lazaridisについて
マイク・ラザリディス(Mike Lazaridis)は、カナダの発明家であり、企業家としても知られています。彼はResearch In Motion(後のBlackBerry Limited)の共同創設者であり、特にBlackBerryデバイスの開発で有名です。
ラザリディスのプロフィール
- 生い立ちと教育
- Research In Motion(RIM)の設立
- 1984年、ラザリディスはダグ・フレジンと共にRIMを設立しました。
- 最初は無線データ技術に焦点を当てた研究開発を行っていましたが、後にBlackBerryデバイスの開発に成功しました。
- BlackBerryの成功
- BlackBerryは1999年に市場に登場し、携帯端末でのEメール通信を革新しました。この成功により、RIMは一躍注目を浴びました。
- 彼のリーダーシップの下、BlackBerryは企業向けの標準的なモバイルデバイスとなり、多くのユーザーに愛用されました。
- 技術革新とリーダーシップ
- ラザリディスはRIMのCEOとして、技術革新を推進し続けました。彼の指導のもと、RIMは数々の特許を取得し、無線通信技術の分野で多大な貢献をしました。
- 会社の変遷と辞任
- 2012年、スマートフォン市場の競争が激化する中、ラザリディスはCEOの職を退任しました。その後も副会長としてRIMに関与しましたが、最終的には会社を離れました。
- その後の活動
- RIMを離れた後、ラザリディスは科学技術への支援に力を入れています。彼はウォータールー大学に大規模な寄付を行い、量子コンピューティングやナノテクノロジーの研究を支援するための研究所を設立しました。
マイク・ラザリディスは、技術革新と起業家精神を持つリーダーとして評価されており、彼の業績はモバイル通信技術の発展に大きく寄与しました。彼のビジョンとリーダーシップは、BlackBerryを世界的なブランドに押し上げる原動力となりました。
映画でのジムは、最近の江口洋介に似ていたが。
Q)Jim Balsillieについて
ジム・バルシリー(Jim Balsillie)は、カナダのビジネスマンであり、Research In Motion(RIM、後のBlackBerry Limited)の共同CEOとして有名です。彼はRIMを世界的な成功に導く上で重要な役割を果たしました。
ジム・バルシリーのプロフィール
- 生い立ちと教育
- Research In Motion(RIM)への加入
- 1992年、バルシリーはRIMに入社し、共同CEOとしてマイク・ラザリディスと共に会社を率いました。
- 彼のビジネス戦略とリーダーシップは、RIMの成長とBlackBerryの成功に大きく寄与しました。
- BlackBerryの成功
- 彼の指導の下、RIMは1999年に初のBlackBerryデバイスをリリースし、企業向けモバイル通信の分野で大きな成功を収めました。
- バルシリーはRIMの市場拡大、特にアメリカ市場での成功に重要な役割を果たしました。
- スポーツチームの買収試み
- バルシリーは熱心なホッケーファンであり、NHLのチームを買収しようと何度も試みました。特に、フェニックス・コヨーテズ(現在のアリゾナ・コヨーテズ)の買収を試みましたが、NHLの承認を得られず、失敗に終わりました。
- RIMからの退任
- 2012年、RIMの業績が低迷する中、バルシリーは共同CEOの職を辞任しました。
- その後も取締役会に留まりましたが、最終的には会社を完全に離れました。
- その後の活動
- RIMを離れた後、バルシリーは公共政策と技術革新に関与する活動に力を入れています。
- 彼はCanadian International Councilの設立に関与し、またCentre for International Governance Innovation(CIGI)にも積極的に関わっています。
ジム・バルシリーは、RIMの成長とBlackBerryの成功において、ビジネス戦略と市場拡大の面で重要な役割を果たしました。彼のリーダーシップとビジネスセンスは、BlackBerryを世界的なブランドに育て上げる原動力となりました。
映画でのダグは、テリー・ファンクみたいな髪型とバンダナをしていた。
Q)Douglas Freginについて
ダグラス・フレジン(Douglas Fregin)は、カナダの技術者および企業家であり、Research In Motion(RIM、後のBlackBerry Limited)の共同創設者として知られています。彼はRIMの技術的な発展と成長に重要な役割を果たしました。
ダグラス・フレジンのプロフィール
- 生い立ちと教育
- 1959年にカナダのオンタリオ州で生まれました。
- ウォータールー大学で電気工学を学び、そこで後に共同創設者となるマイク・ラザリディスと出会いました。
- Research In Motion(RIM)の設立
- 1984年、フレジンはマイク・ラザリディスと共にRIMを設立しました。
- 最初はLEDディスプレイボードやその他の無線通信技術に取り組んでいました。
- BlackBerryの開発
- フレジンはRIMの技術部門を率い、BlackBerryデバイスの開発において重要な役割を果たしました。
- 彼の技術的な知識と経験は、RIMが最初のBlackBerryデバイスを市場に投入し、成功を収める基盤となりました。
- RIMでの役割
- フレジンはRIMの技術部門のリーダーとして、ハードウェアおよびソフトウェアの開発を監督しました。
- 彼はまた、RIMの特許ポートフォリオの構築にも関与し、会社の技術的な優位性を確保しました。
- RIMからの退任
- フレジンは2007年にRIMを退社しました。彼の退任後もRIM(BlackBerry)はしばらく成功を続けましたが、スマートフォン市場の競争激化に直面しました。
- その後の活動
- フレジンは退社後も技術革新と起業家精神に関わり続けています。
- 彼は慈善活動や技術関連のプロジェクトに関与し、特に教育と科学技術の分野での支援を行っています。
ダグラス・フレジンは、RIMの共同創設者として、技術的な革新と企業の成長に大きく貢献しました。彼の技術的な洞察とリーダーシップは、BlackBerryを世界的なブランドに押し上げる一助となりました。
Palmのカール・ヤンコウスキーも出てくる。ちょっとイヤな感じのポジション。
Q)Carl Yankowski について
カール・ヤンコウスキー(Carl Yankowski)は、アメリカのビジネスマンであり、複数の大手企業で経営トップを務めたことで知られています。彼は特に、ハイテク業界と消費者向け製品の分野でのリーダーシップで有名です。
カール・ヤンコウスキーのプロフィール
- 生い立ちと教育
- カール・ヤンコウスキーはアメリカで生まれました。詳細な生年月日や出身地については公開されていません。
- マサチューセッツ工科大学(MIT)で電気工学の学士号を取得し、さらにハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得しました
- キャリアの始まり
- Palm, Inc.のCEO
- その他の経営ポジション
- 現在の活動
カール・ヤンコウスキーは、消費者向け製品およびハイテク業界での幅広い経験を持つ経営者であり、複数の企業の発展に貢献してきました。彼のリーダーシップと経営戦略は、多くの企業にとって重要な資産となりました。
結局、ハードウェアとして所有する事はないまま、BlackBerryは終わってしまった。
映画を観て、妻が「ちょっと欲しくなっちゃうね」と言いながらBlackBerryの端末が売られていないか探したりしている。
この時代のこの界隈の、ヒッピー文化の名残が感じられる若者の興した企業が大人の企業に変わって行く物語、ある意味どれもお約束的な展開なのだが、自分が過去に好きだったガジェットの事を思い出したりしながら楽しめる。
Q)コンピューターとヒッピーカルチャーの関係について
コンピューターとヒッピーカルチャーの関係は、特に1960年代から1970年代にかけて、シリコンバレーとカリフォルニアのカウンターカルチャーの中で重要な役割を果たしました。この関係は、技術の発展と社会的変革の両方において革新的な影響を与えました。
ヒッピーカルチャーの特徴
- 反体制的精神: ヒッピーは既存の社会秩序や権威に対する反発を表明し、自由、平等、環境保護を重視しました。
- コミュニティと共有: コミューンや共同生活を通じて、共有経済や共生を実践しました。
- 自己表現と創造性: 音楽、アート、スピリチュアルな追求を通じて、自己表現と創造性を強調しました。
コンピューター革命
- パーソナルコンピューターの誕生: 1960年代後半から1970年代にかけて、パーソナルコンピューターの概念が登場しました。これには、Altair 8800やApple Iなどの初期のコンピューターが含まれます。
- シリコンバレーの発展: カリフォルニアのシリコンバレーは、テクノロジーとイノベーションの中心地となり、多くの新興企業が設立されました。
ヒッピーカルチャーとコンピューターの接点
- ホームブリュー・コンピューター・クラブ: 1970年代初頭、シリコンバレーでは「ホームブリュー・コンピューター・クラブ」が結成されました。このクラブは、コンピューター愛好家や技術者が集まり、知識やアイデアを共有する場となりました。ここには、Appleの共同創設者であるスティーブ・ウォズニアックやスティーブ・ジョブズも参加していました。
- DIY精神とオープンソース: ヒッピーカルチャーのDIY(Do It Yourself)精神は、コンピューターのハードウェアやソフトウェアの開発においても反映されました。オープンソースの理念やハッカーカルチャーの根底には、共有と共同作業の精神が流れています。
影響と結果
- 技術の民主化: ヒッピーカルチャーの影響を受けた技術者たちは、コンピューターを一般の人々が利用できるようにすることを目指しました。これにより、パーソナルコンピューターが普及し、情報へのアクセスが広がりました。
- イノベーションの加速: ヒッピーカルチャーの創造性と自由な発想が、技術革新を加速させ、多くの新しいアイデアや製品が誕生しました。
結論として、ヒッピーカルチャーとコンピューター革命は、一見異なるもののように見えますが、実際には深く結びついており、互いに影響を与え合ってきました。ヒッピーカルチャーの精神が、シリコンバレーの技術革新とパーソナルコンピューターの普及に大きな役割を果たし、現代のテクノロジー社会の基盤を築く一助となったのです。
エンディングではKinksの『ウォータールー・サンセット』が流れる。
主人公達のホームはカナダのウォータールー、Kinksが歌うのは英国のウォータールー。ウォータールーという地名がこんなにたくさんあるとは知らなかった。